コラム

ロッカーたちに贈るマイナークラシック Vol. 3.5

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みなさん、こんにちは!SAORIN☆です。

おかげさまで、連載を開始してから6か月が経ちました。
拙い文章力と乏しい表現力をフル稼働して毎回なんとか形にすることができている(かもしれない)という状況ですが、私にとっては自らの作品を生み出す貴重な機会になっているので、細々とでも執筆を続けていきたいと考えています。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします!

今回のコラムは番外編第3弾。
通算6回のコラムのうち本編3回、番外編3回と、本当に番外編というネーミングのままでいいのだろうか?と疑問に思ってしまうほど番外編の出番が多いのですが…
これから本編を続々と執筆していくつもりでいますので、どうかご心配なく。
しつこいようですが、リクエストもまだまだ受け付けています。

今回は、ドイツの作曲家ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann)の幻想小曲集Op. 12(Op.=Opus:作品番号のこと。
同じくシューマンの作品である「幻想小曲集Op. 73」や「幻想小曲集Op. 88」、「幻想小曲集Op. 111」と区別するため、作品番号も明記しました。
同じ名前の作品集を乱立させるのはやめてほしい…^^;)をご紹介します。
これまでクラシック音楽になじみがなかった方も、ベートーベンやバッハ、モーツァルトなどと同じように「シューマン」という名前は耳にしたことがあるのではないかと思います。
世界的に見ても時代的に見ても、クラシック音楽界においてはあまりにも有名な大作曲家です。

作曲家ロベルト・アレクサンダー・シューマンの肖像画
出典:Robert Greenberg Music

シューマンのピアノ作品といえば、私は「子供の情景」というピアノ曲集の第7曲『トロイメライ』を思い浮かべます。
「子供の情景」自体がシューマンの代表作の1つであり、『トロイメライ』が全13曲のなかで最も有名な曲と言われているだけのことはあって、真っ先に浮かんできました。
お恥ずかしながら、私自身このコラムの執筆を始めるまで『トロイメライ』以外の12曲を聴いたことがなく…
執筆中の今になってようやくじっくりと聴いているところなんですけどね。

1810年6月8日、シューマンはツヴィッカウで生まれました。
5人兄弟の末っ子で、出版業者でもあったという父親の元で早くから音楽や文学に親しみながら育ちました。
幼少の頃から作曲や詩作に豊かな才能を示したとか。
16歳のときに父親と死別したシューマンは、安定した生活を願う母親の希望で法学を選択し(いつの時代にも安定志向って存在するのですね…)、1828年にライプツィヒ大学に入学します。

しかし、ピアニストになるという夢を捨てきれず、1830年に当時評判の高かったピアノ教師フリードリヒ・ヴィークに弟子入り。
ヴィークのもとで熱心に学んでいたシューマンですが、無理な練習方法を採ったことによって指を痛め、ピアニストとして生きる望みを絶たれてしまいます。
以後、シューマンは作曲と評論に転向し、次々に作品を発表します。
気持ちを整理するのに時間がかかっていたのか、シューマンの初期の作品のほとんどがピアノのための作品なんですよね。
自らの能力の限界を感じて諦めたわけではなく、いわゆる怪我のせいで夢が潰えてしまったわけですから、これはなかなか切ない話だと思います。
実際にシューマンのピアノ演奏の技術は、ほぼ自己流ながらも指を痛める以前の時点で相当のレベルに達していたとも言われていますしね。

1836年、シューマンはピアノの師ヴィークの娘であり当時天才的ピアニストとして認められつつあったクララと恋に落ちますが、ヴィークはこれに激しく怒り、ありとあらゆる手段を使って2人の仲を妨害しようとしたのだとか。(2人はずいぶん長い間、直接会って話すことさえできなかったようです)
シューマンとクララは1840年にようやく結婚にこぎつけましたが、それまでの困難な状況の中で「幻想小曲集Op. 12」、「ダヴィド同盟舞曲集」、「子供の情景」、「クライスレリアーナ」、「幻想曲」「ノベレッテン」を次々と発表。
これらの作品のほとんどがクララを想って作曲されたものだと言われています。また、自身の恋愛と結婚が何かしら影響したのか、2人が結婚した1840年には数多くの歌曲が作曲されました。

1841年からは一転して交響曲を含む管弦楽曲を、翌1842年には室内楽曲を主に作曲し始め、シューマンの作曲分野は多岐にわたっていきます。
1843年にはライプツィヒ音楽院で教鞭を取るようになりますが、元来の内向的な性格には合わなかったようで、翌年にはドレスデンに移り、しばらくは個人教授と作曲に専念しました。
この頃からシューマンは徐々に精神的な不安定さを見せるようになります。

1853年のある日、まだ青年だったヨハネス・ブラームスがシューマン夫妻を訪問し、自らの作品を演奏して2人をいたく感動させます。
ブラームスの存在は晩年のシューマンにとって音楽の未来を託せる希望となっていましたが、その一方で妻クララとの不倫疑惑にも悩むことになります。
この希望と絶望がシューマンの精神に決定的なダメージを与えたのだとか。感情の振れ幅が大きすぎて、耐えきれなくなってしまったのかもしれませんね。

1854年に入るとシューマンの病状はは著しく悪化し、同年2月27日にライン川で投身自殺を図ります。
シューマンは一命をとりとめたものの、エンデニヒの精神病院に収容され、1856年7月29日にこの世を去りました。
入院中に常に口にしていた言葉、なおかつ最後の言葉にもなってしまったのが「私は知っている(Ich weis)」であったと言われています。(不倫疑惑を始めとするシューマンの悩みのタネが事実だったかどうかはともかく、状況を考えるとけっこう怖い言葉なんじゃないでしょうかね…)

私がこの「幻想小曲集Op. 12」に出会ったのは、高校1年生の頃でした。定期試験を行わない代わりに学期に1度課される音楽の実技試験で、音大を目指していたクラスメートが第2曲『飛翔』をピアノで弾いているのを聴いて魅了されたのがきっかけです。
その実技試験は歌でも楽器でも音を出すことができる方法なら何でもOK!誰かとタッグを組んでもOK!曲目も自由!という何かと条件の緩い試験でしたが、私は合奏にしてもソロにしても、ほぼ毎回バイオリンで臨んでいましたね。
あまり上出来と言える演奏ではありませんでしたが、ピアノで挑戦したことも1回だけありました。

当時はまだピアノを習っていたので、先生にお願いして『飛翔』をレッスンしてもらうことにしました。
楽譜を買ってきて、ワクワクしながら開いたものの、次に襲ってきたのは途方もない絶望でした。
もうね、最初の2小節を見ただけで大絶望。
「これ右手でいっぺんに弾けって!?絶対届かないじゃん!」なんて言葉がこだまするばかりで何の解決策も思いつかず、どんだけ手のでかい演奏者を想定してるんだ!?と、考えても仕方ないことをグルグルと考え続けてしまっていましたね。
もちろん、うなだれたまま翌週のレッスンに臨んだのは言うまでもありません…。

が、しかし。

それをピアノの先生に相談すると、先生は棚から違う出版社の楽譜を持ってきてくれたんですね。
そしてその楽譜を開くと、そこには和音の一番下の部分を左手で弾けとの指示が…!!(つまり、私が持っていた楽譜とは全く異なる指番号が振ってあったわけです)
「こんなものよ~♪」とニッコリ笑う先生の隣で、驚きのあまり笑えずにいたことはよく覚えています。
そんな一見ぶっ飛んだ方法、全く思い浮かびませんでしたから。
そのおかげで私の小さな手でも『飛翔』が弾ける(かもしれない)状況が整ったので、大感謝なんですけどね。(あとから知ったのですが、小柄なピアニストのなかには片手では届かない音がある場合にそうやって弾いている方もいらっしゃるそうです。テクニックでカバーするってやつですね)

そのまま少し進んでいくと、右手の薬指(4指)と小指(5指)を駆使して高声部を歌うように伸びやかに奏でる必要が出てくるのですが…
手の小さい私はここでも指が届かず、結局小指だけを使って弾くという荒業に出ることになったのでした。
本当にもう、小指がつりそうで捥げそうな極限の状態。
つらいし痛いし難しいしで、美しさなんて追及している場合ではありませんでしたね。(単に私の演奏レベルがまだまだ足りていなかっただけなのだとは思いますが…)
でも、この部分の旋律って穏やかで美しくて大好きなんですよ。
弾くなら必死にならざるを得ませんけど、聴いているだけなら楽しめます(^^;

 

それぞれの作品について説明する前に、この曲集の特徴について少し触れておきますね。

幻想小曲集Op. 12を解釈するにあたってポイントとなるのが「フロレスタン」と「オイゼビウス」という2人の人物です。
この人物たちは「ダヴィッド同盟舞曲集」の登場人物であり、「謝肉祭」に収録されている曲のタイトルでもありますが、実はシューマン自身の二面性を表すものでもあります。(統合失調症だったとも言われていますしね)
フロレスタンは明るく積極的な「動」を象徴し、オイゼビウスは冷静で思索的な「静」を象徴する人物であるとされています。
幻想小曲集の場合はフロレスタンとオイゼビウスが人物としてではなく、シューマンのペンネームとして登場します。
幻想小曲集Op. 12においては、第1曲から第4曲まではフロレスタンの作品とオイゼビウスの作品が交互に登場し、第5曲以降はフロレスタンとオイゼビウスの合作とみなされています。

それでは、第1曲から第8曲まで解説していきますね。

第1曲『夕べに』Sehr innig zu spielen(極めて内面的に演奏すること)

オイゼビウスの作。8分の2拍子に複リズムで8分の3拍子の旋律が一貫して置かれています。(これは演奏する側にとってはけっこう厄介だと思います…)
ABAB結尾という形式を取り、Aは変ニ長調、Bはホ長調で展開されていきます。
BはAとは調性で対比する以外には新たな材料を持たず、動機もAからの借用のため、旋律も構成もいたってシンプルで淡々と同じ音型が繰り返されます。
この繰り返しによって、時間を忘れてたたずんでしまうような夕べの情景が醸し出されるんですね。

第2曲『飛翔』Sehr rasch(極めて急速に)

フロレスタンの作。ABACABAというロンド形式を取ります。
『飛翔』というタイトルの由来は、このAの部分によるところが大きいとされています。
Aは変ニ長調で、羽ばたきをしながら8度の飛躍(ドの音が1オクターブずつ2回、合計2オクターブ一気に上がる箇所があります)で飛び上がる様子を描写しています。
続くBは変ニ長調で、左手の中声部の動きにも意外な重要性を置いて始まります。(確かに雰囲気づくりにあたっては一番のポイントになる気がしますね)
Aの再現には模倣的な手法が取り入れられており、続く変ロ長調のCは右手と左手の模倣で始まります。(個人的にはこのCの部分がオススメです。弾けるようになるまでに、めちゃくちゃ苦労したけど!)
後半はABAと再現が続きます。

第3曲『なぜ?』Langsam und zart(ゆるやかに柔らかく)

オイゼビウスの作。なぜ結婚ができないのかを巡ってのシューマン、クララ、クララの父親であるヴィークのやりとりが秘められていると言われています。(高声部がクララ、中声部がシューマン、低声部がヴィークと捉えてよいかと思います)
シンコペーションが用いられており、どこか落ち着かない雰囲気が全体に漂っています。
シューマンらしい線のもつれも見られます。最後は疑問を残すかのように転回停止で終わります。

第4曲『気まぐれ』Mit Humor(ユーモアを持って)

フロレスタンの作。
ABACABAのロンドに近い形式ですが、ABA(C)ABAという三部形式として見たほうが良いとも言われています。
三部形式の冒頭部は2つの主題からなり、はじめは大真面目で重々しい和音進行、次の部分では上声の流れる旋律に対して不器用な和音を伴うリズムが水を差すかのように現れます。
中間部はどことなくはっきりしない二度音程の行き来で、内面に問い掛けるように進んでいきます。
タイトルどおり気分がころころ移り変わる様子が面白い1曲です。
シューマンは「ユーモアを持って」という指定を好んだようですが、ドイツ人のユーモアとは独特であると言われています。(差別的に聴こえるかもしれませんが…)他人を意識したというよりは、あまりにも真面目すぎることから醸し出される、ある種の滑稽さみたいなものを指すみたいですよ。

第5曲『夜に』Mit Leidenschaft(情熱を持って)

フロレスタンとオイゼビウスの合作。
シューマン自身はこの曲集のなかではこの曲が一番のお気に入りだったと言われています。
三部形式を取る曲で、終始一貫して16分音符がうねるように流れ続けて強い緊張感を生み出し、静かな夜ではなく、嵐の夜、もしくは悪夢にうなされているような印象を受けます。
三部形式の冒頭部分では減7の和音が多くあらわれ、中間部では長調に転じて落ち着いたかのように聞こえますが、伴奏部分にはやはり緊張感を醸し出す短二度音程が非和声音として使われています。
曲集中で最も長く、全体の核としての5曲目という配置であると言われています。

第6曲『作り話』

フロレスタンとオイゼビウスの合作。
三部形式を取りますが、Langsam(ゆるやかに)と Schnell(急速に)の部分が交互に現れます。
シンプルな4小節のメロディーはハ長調で、非常に無垢で純真な印象を与えます。
対する十六分音符のモチーフでは、要所で弱拍にアクセントを与えてあり、無邪気に弾む子どものように思えます。(私はこの弾んでいる部分がすごく好き)
中間部は短調になり、和音の連打からメロディーが生まれ出ます。(私は弾いたことがありませんが、この部分は難しそうですね)
左右で上向するパッセージはどこか掴みどころがなく、やはりこれは『作り話』だったのだと思わせられる、そんな1曲です。

第7曲『夢のもつれ』Ausserst lebhaft(極めて生き生きと)

フロレスタンとオイゼビウスの合作。
シューマンらしいリズムの固執はあるものの、転調に新鮮さも感じられます。
自由な三部形式を取っており、練習曲的な性格の曲です。
中間部は和音で奏でられますが、それ以外の部分は16分音符の細かい音型で貫かれています。
技術的には、右手の薬指(4指)と小指(5指)を交互に動かす箇所が非常に多く、かなり演奏しにくいがゆえに「指のもつれ」というあだ名がつけられることも少なくないとか。(確かに指が絡まりそうな気はしますね…)
それでも、鮮やかに夢が交錯する魅力的な曲であるがために、単独で演奏される機会のとても多い曲なんですって。(私もこの曲が一番好きだな。弾けたら楽しいだろうなーとも思いますが、絶対無理^^;)

第8曲『歌の終わり』Mit guten Humor(品の良いユーモアを持って)

フロレスタンとオイゼビウスの合作。
三部形式。
終始旋律的であり、和音によるシンフォニックな音響に支えられています。
曲の冒頭で見られる5度の下降飛躍が特徴的ですが、こうした5度の動きは、シューマンがクララへの思慕を特に強めたときに現れることが多いと言われています。
半音進行が印象的な中間部を経て再現してのち、曲は終わったかのように感じられますが、その後にやや長いコーダが続きます。
コーダでは、属7や減7などの和音を巧妙に用いて複雑な効果を出しており、弱音で回想的にテーマが奏でられ、最後は眠りにつくように静かに曲を閉じます。

幻想小曲集Op. 12は非常に多くのピアニストが演奏しており、音源も十分すぎるほどたくさん存在しています。
私もいろいろと聴いてみたのですが、一番気に入ったのがアルゼンチン出身の女性ピアニストであるマルタ・アルゲリッチの演奏でした。
決め手になったのは『飛翔』。
「極めて急速に」という指示のもと、ともすると雑に響きがちな『飛翔』のメロディーが丁寧に艶やかに奏でられていて、なんだか嬉しくなっちゃったんですよね。
皆さんも、ぜひいくつか音源を聴いてみて、お気に入りのピアニストを見つけてくださいね。

シューマン:幻想曲&幻想小曲集(期間生産限定盤) ジャケット
出典:Amazon.co.jp

最後まで読んでくださってありがとうございます!

次回は、作曲家兼園芸家という、ちょっと変わった経歴を持つイギリスの作曲家をご紹介します。
学生時代の先輩が大絶賛していたのですが、私にとっても印象深い作曲家の1人です。
どうぞお楽しみに☆

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【参考文献】
「シューマン 幻想小曲集」全音楽譜出版社
「ピティナ・ピアノ曲事典」

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