コラム

あられの音楽とファッションの軌跡③

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こんにちは!「電脳音楽塾」メンバーのあられです。

以前の記事はこちら。『あられの音楽とファッションの軌跡②〜あられ、スタイリストになる編〜』

第3回は、〜hideさんが教えてくれた2つの大切な想い編〜です。

「好きなことを大切にする」

「大切な人を応援する」

わたしの胸の奥底にあった2つの想いですが、思い返すと、hideさんの影響がとても大きかったです。

わたしがhideさんのことを好きになったのは、小学5年生の時。1998年1月30日、Mステーションの「ROCKET DIVE」の演奏を観た時でした。手からビームを出したり、バンドメンバーが宙吊りになりながら飛び跳ねていたり、演出にワクワクしました。わたしの両親は保守的な人で、TVもあまり観せてくれなかったのですが、なぜだか小5あたりから、いろいろ観せてくれるようになりました。TVの中の世界は、今まで見たことのないワクワクするようなことがたくさん起きて、楽しくて仕方ありませんでした。特にhideさんの音楽と演出は突き抜けてワクワクしました!

※ MステーションHPバックナンバーでは今でも1998年1月30日出演者一覧を見ることができます。

同じ頃、両親は、わたし用にラジカセを買ってくれました。それから、ラジオを聴くのが、ひとり時間の楽しみになりました。たまたま「ROCKET DIVE」が流れてきた時は、「あ!こないだMステでワクワクした曲だ♪」とテンションが上がったのですが、ちょうど電波が悪くなり、耳をスピーカーにくっつけて、一音も聴き逃さないように一生懸命聴いたのを覚えています。

それからわたしが小6になって、しばらくしてhideさんが亡くなりました。ショックだったけれど、遠い世界の出来事のようであまり実感がありませんでした。

その当時のわたしにとって、hideさんの音楽やパフォーマンスの世界がすべてでした。「ピンクスパイダー」がTVで流れてきた時にはあまりのかっこよさに、雷が落ちたくらいの衝撃でした。hideさんがよく言っていたみたいに「何じゃこりゃ!」となったわけです!それまで姉の真似ばかりしていたわたしが、初めて自分で「好き」と思えたのがhideさんでした。自分のアイデンティティーが生まれた瞬間でした。

そこからわたしの暴走が始まりました(((o(*゚▽゚*)o)))♡お小遣いを全部注ぎ込んで、hideさんのCD、DVD、雑誌、本などを買い漁りました。小学生のわたしが手に入れられるものは全部買いました。人生で初めて買ったCDはzilch『3・2・1』です。その当時、Mステでアーティストに「初めて買ったCDは?」と質問するコーナーがあり、『わたしも将来Mステに出演して、質問に答えるんだから初めて買うCDにはこだわらなきゃ!zilchって答えたらかっこいいだろうな。」とニヤニヤしながら買いに行ったのを覚えています(笑)

たくさん買った中でわたしが特に影響を受けた本は、「hide『夢と自由 ニッポン放送オールナイトニッポン編』」です。音楽性と同じくらい、人柄にも感銘を受けました。第1回目の放送で、KISSと出会って衝撃を受けてロックを始めたというお話をされています。「ロックと出会った12歳の頃の自分に常に語りかけている」という内容のことをインタビューでおっしゃっていたのですが、その当時12歳だったわたしは、その言葉を自分に重ねて「わたしの今の気持ちを、大人になっても忘れないぞ!わたしも好きなことをし続けるんだ!」と思い込んだわけです。

そして、第4回目の放送は、hideさんの好きな曲を紹介する回。売れている売れていないに関わらず自分がかっこいいと思うバンドを紹介していく姿勢、そして応援するために『レモネード』というレーベルまで作ってしまうフットワークの軽さと先見の明にも感銘を受けました。『人を応援するのってなんて素晴らしいんだ!応援する方も応援される方もうまくいく。これって人生がうまくいく最高の法則なんじゃない?』と子供ながらに興奮しました。

hideさんはカラフルなルックスで唯一無二のパフォーマンスも魅力ですが、その一方で自分よりまずは周りの人をたてる、控えめな人柄が見てとれます。それは、とても日本人的で美しいと思うのです。わたしはただ謙遜するだけの人はあまり好きではないのですが、自分のクリエイティブさを全部出し切った上での謙虚さはとても魅力的に映りました。

けれど、その時はその想いを共有する人もおらず、逆に、否定的な意見を言う人しかわたしの周りにはいませんでした。その時は言葉にできなかったけれど、今思うとその時のわたしの胸の中には‘’悔しい‘’という感情でいっぱいだったのだと思います。理解されない、わかってもらえない、けれど、自分の想いをうまく伝えられない自分へのもどかしさがごっちゃになったような感情でした。いつしかわたしはhideさんファンであることを封印するようになりました。まるで圧力鍋に感情を押し込めて、蓋をしてしまうみたいに、強引に感情を封印してしまいました。

バンド活動をしたいな、と思いながらも結局は行動に移せず、それなりには楽しい学生時代でしたが、何だかいつも自分の本当の気持ちがおざなりになっているような毎日でした。

そして時は流れ、大人になり、スタイリストになる夢を叶え、そして、大好きなボイストレーニング教室の応援をするようになりました。これだけ聞くと、とても充実しているように聞こえます。けれど、まだわたしの心は欠けたままでした。「好きなことを大切に」仕事をしていると言いながら、心の奥深くにシコリのようなものが残っていて、うまく表現しきれていない自分がいました。

※黒髪に黒っぽい服でスタイリスト活動をしていた頃。「スタイリストっぽくてカッコいい」と言ってくれる人もいたけれど、わたしの中では好きなことを好きと言い切れていなかったし、人目が気になっていて、まだ心の中にシコリのようなものがありました。

その時のわたしは、まだhideさんのファンだということを公言できていなかったのです。自分で思っていたより子供の頃のわたしは傷ついていました。圧力鍋の中に押し込んでいた感情が、急に開いて爆発するのが怖かったのです。けれど避けて通るのも無理でした。ある時、子供の頃の“好き”という気持ちは一生ものだということに気付きました。

そして、意を決して、『マミーボイスアカデミー』の個人のボイストレーニングレッスンを受けることにしました。2018年11月のことです。曲はhide with Spread Beaver『HURRY GO ROUND』。

 

ほぼ初めて、hideさんファンであることを公言し、歌まで歌ったので表情も声も硬すぎですね、わたし…。この動画は、子供の頃の感情を詰め込んだ圧力鍋の蓋を、爆発しないように、恐る恐る開けているところです(^◇^;)

わたしの中では約20年封印していた気持ちを解放する瞬間で、とても大きな出来事でした。この時をきっかけに、わたしの傷も少しずつ癒えていき、ここから、わたしの行動も変わっていくのです。(To be continued…)

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