みなさん、こんにちは!SAORIN☆です。
前回の聴き比べ、もう試されましたでしょうか?
指揮や演奏に正解があるわけではないので、間違い探しゲームのように頑張って違いを見つけるのではなく、複数の演奏を聴く中で自然と感じ取れた違いを比較して楽しんでいただけたらと思います。
今回は初の番外編。グルジア出身のアルメニア人作曲家アラム・イリイチ・ハチャトゥリアン(Aram Il’ich Khachaturian)の組曲「仮面舞踏会」をご紹介します。
ハチャトゥリアンという名前に聞き覚えがなくても、組曲「ガイーヌ」の中の1曲である『剣の舞』はどこかで耳にしたことがあるのではないでしょうか?
(私は小学校の音楽の授業で習いましたが、運動会で流す学校もあるそうです)
「仮面舞踏会」の1曲目『ワルツ』は、フィギュアスケートの浅田真央選手が2008~2009年シーズンのフリースケーティングと2009~2010年シーズンのショートプログラムで使用していたため、記憶にある方もいらっしゃるのでは…?ということで、今回は本編ではなく番外編にてご紹介することにしました。
最後までお付き合いいただけたらうれしいです。
1903年、ハチャトゥリアンはロシア帝国領グルジア(現ジョージア)のティフリスで生まれました。
幼少の頃から正規の音楽教育を受けていたわけではありませんが、コーカサス地方で民族音楽に親しみながら育ちました。その環境は、のちのハチャトゥリアンの作風に大きな影響を与えています。
1921年、ハチャトゥリアンは偶然立ち寄ったモスクワ音楽院の大ホールでベートーヴェンの交響曲第9番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いたことがきっかけで、作曲家になることを夢見るようになります。
翌年にはグネーシン音楽専門学校に新設されたチェロ科に入学。
それまで楽譜を読むこともチェロを弾くこともできなかったにもかかわらず入学を許可されたのは、100曲近くの民謡を口ずさんだりピアノで巧みに弾いたりできたからだと言われています。
ハチャトゥリアンは1925年に作曲家グネーシンに認められて作曲科に転入、その4年後にはモスクワ音楽院に進みました。
在学中から民族色の濃い作品を発表して注目されていましたが、大学院修了年に発表したピアノ協奏曲やその数年後に2か月半という短期間で作曲したヴァイオリン協奏曲によって名声を博しました。
1948年、ハチャトゥリアンはショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ミャスコフスキー、カバレフスキーといった同時代のソ連の作曲家たちと同様にジダーノフ批判(当時の前衛芸術に対して行われたイデオロギーの統制及び強化)の対象となりました。
11年後には名誉回復がなされていますが、作曲家や小説家などの芸術家たちが自らの信念に従って表現活動をすることが困難な状況であったことは間違いありません。
1956年には母校であるグネーシン音楽専門学校とモスクワ音楽院で教鞭を取るようになりました。
ハチャトゥリアンは1978年に75歳で亡くなっていますが、生前来日した際には京都市交響楽団や読売日本交響楽団との共演も果たしています。
「仮面舞踏会」は、ミハイル・レールモントフの戯曲「仮面舞踏会」のための劇付随音楽として1941年に作曲され、組曲が編まれたのは1944年のことでした。
組曲の定義は時代によって異なりますが、ハチャトゥリアンが活躍していた時代には、オペラやバレエ音楽の中から主要曲を抜き出して編成を変え、演奏会で演奏できるようにした管弦楽曲を組曲と呼びました。
私が組曲「仮面舞踏会」のCDを買ったのはいつ頃だったのか定かではありませんが、たぶん社会人になってからだったんじゃないかな…。
当時購入したのはソニーミュージックレーベルから出ているコンドラシン盤(指揮:キリル・コンドラシン、演奏:RCAビクター交響楽団)でした。
理由は単純で、組曲「仮面舞踏会」が収録されていて比較的安価(1500円もしなかった気がします…)であることに加え、高校1年生の定期演奏会のアンコールで演奏したカバレフスキー作曲の組曲「道化師」が収録されていたからでした。
ちょっと話題が逸れますが、アンコールで演奏したのは組曲「道化師」の中の1曲である『ギャロップ』。
こちらも運動会でよく流れていますね。
『ギャロップ』にはシロフォン(木琴の1種)のソロがあるのですが…
シロフォンを担当していた3年生(確か、ものすごく頭の回転の速いギャルでした)がメトロノームが壊れていることに全く気づかずに普通ならありえないほど速いテンポで練習していたということを知って驚愕したのは今でもよく覚えています(^^;
このコンドラシン盤は50年ほど前の録音ですが、今もなお名演とされています。
実はクラシック音楽を聴かなくなってしばらくした頃、前回ご紹介したカリンニコフのクチャル盤を含む数枚のCDだけを手元に残して他は全て手放してしまっていたのですが、最近また聴きたくなって買い直したんですよね。
今だからこそ言えますが、本当にもったいないことをしました…。
そうやって買い直したCDが他にも何枚かあるので、これから時折「買い直しましたシリーズ」として取り上げてみようと思っています。
ハチャトゥリアンの演奏における最強コンビと言われているのが、ロリス・チェクナヴォリアン×アルメニア・フィルハーモニー交響楽団です。
チェクナヴォリアンはイラン出身のアルメニア人であり、アルメニア・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督兼主席指揮者に就任しています。
特に、同じくアルメニア人であるハチャトゥリアンの作品の演奏に関してはスペシャリストとされています。
ちょっと語弊があるかもしれませんが、チェクナヴォリアンは、アルメニア人だからこそわかるアルメニアの心というものを巧みに描き出すことができる指揮者なのだと私は思います。
組曲「仮面舞踏会」に関して言えば、艶やかな印象のコンドラシン盤とはまた違う良さを持ったエネルギッシュで濃厚な演奏が聴けますよ。
組曲「仮面舞踏会」は、『ワルツ』『ノクターン』『マズルカ』『ロマンス』『ギャロップ』の5曲で構成されています。
急-緩-急-緩-急というようにテンポの速い曲と遅い曲とが交互に配置されており、曲同士のコントラストがより際立つようにとの工夫が見られます。
というのは、これらの5曲は劇中で出てくる順番に並べられているわけではないからです。
戯曲「仮面舞踏会」の舞台は帝政ロシア末期の貴族社会、賭博師アルベーニンが妻ニーナの不倫を疑い、激しい嫉妬心からニーナを毒殺、のちに誤解だとわかりアルベーニンは発狂…という何とも救いようのないストーリーになっているのですが、実は1曲目の『ワルツ』はニーナがアルベーニンに毒を盛られた最後の仮面舞踏会の場面で使われる曲なんですね。
最後に、組曲を構成している5曲を簡単にご紹介します。
第1曲『ワルツ』
妻ニーナが夫アルベーニンに毒を盛られた最後の仮面舞踏会の際の舞曲です。
ニーナが夫に毒を盛られたことを知らずに、帰宅してから舞踏会で演奏されていたワルツをうっとりと回想する場面のために作曲されました。
豪華絢爛な空気が醸し出される一方で、どこか哀愁を感じられるメロディーが印象的な作品です。
ハチャトゥリアンが作曲に苦慮したとも、作曲にあたって最も力を入れたとも言われている曲です。
第2曲『ノクターン』
最初の仮面舞踏会(ニーナが腕輪をなくした仮面舞踏会)のことをアルベーニンが回想する場面のために作曲されました。
このときアルベーニンはまだ妻への疑惑を抱いておらず、この曲自体も漠然とした不安や憂鬱をたたえながらも、激しい嫉妬を表現するには至っていません。
第3曲『マズルカ』
一見華やかな仮面舞踏会に集まってくる人々も、実はそれぞれに悩みや苦しみを抱えているのだということを暗示している曲です。
人々のそうした苦悩は曲の中盤(1分強続きます)で表現されていますが、第1曲目の『ワルツ』のように常に暗い影のようなものが見え隠れしているわけではないため、比較的ライトな感覚で聴けるかと思います。
第4曲『ロマンス』
ニーナが最後の仮面舞踏会で参加者に請われて歌う場面の音楽です。
ニーナが歌うそのメロディーは、組曲においては弦楽器が奏でるように編成されています。劇中では女性のニーナが歌っていますが、「悲しみの涙が思いがけなくても/きみの瞳からこぼれ落ちても/僕の心は痛みはしない/別の男といて不幸なきみを見ても/でももしも幸せの光が突然/きみの瞳に輝いたなら/そのとき僕は人知れず悶え苦しむだろう/胸の中に地獄を感じながら」という歌詞からもわかるように、これは男性の秘めた嫉妬を歌ったものです。
第5曲『ギャロップ』
劇が終わった後に演奏される曲です。
観客に向けて作られた曲と考えられており、悲劇的な劇の内容とは直接の関係がありません。
それゆえ組曲の終曲として据えることに関しては、賛否両論あるようです。
一見ユーモアと活気に満ちた曲ですが、底抜けに明るいわけではなく、途中でもつれが見られたり、ふと悩ましい影が差したりしています。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
次回のコラムをお送りする頃には冬に差し掛かっているかとは思いますが…
四季の中で一番好きな秋が今年はなかなか来なかったうえに、なんだかあっという間に終わってしまいそうなのが悲しいので、次回は秋をテーマに作曲された交響曲をご紹介します。
どうぞお楽しみに☆