コラム

ロッカーたちに贈るマイナークラシック Vol. 1

みなさん、初めまして!SAORIN☆です。

私は今年の8月にオンラインサロンに入会したばかりなのですが、このたび「ロッカーたちに贈るマイナークラシック」というテーマでコラムを執筆することになりました。

今のところ、1か月に1回を目標に連載する予定でいます。
不慣れなのでどうしても拙い表現になりがちですし、ネタも無尽蔵というわけではなく、いつまで続けることができるのか自分でもわかりませんが…頑張って執筆しますので、温かく見守っていただけたらうれしいです。

このコラムでは、世界でも日本でもあまり知られていない作品を中心にご紹介していきます。
「聴いたことない曲だけどかっこいい!最後まで飽きずに聴ける!」という感じの作品を選ぶようにしますので、これまでクラシック音楽に縁がなかった方にも、クラシック音楽なんて興味ないよ!という方にも、クラシック音楽を知るきっかけにしていただけるのではないかと思います。
また、日本でも十分知られている作品でも私が個人的に気に入っていてぜひとも皆さんにご紹介しておきたいと思うものは番外編でご紹介していこうと考えています。なお、本編にはVol.1、Vol.2…と整数の整理番号を、番外編にはVol.1.5、Vol.2.5…と小数の整理番号をつけて区別します。

さて、コラム初登場ということで、私の経歴を簡単にご紹介します。

6歳からピアノのレッスンを受ける。

中学入学と同時に美術部に入部するも、楽譜が読めるというだけの理由でわずか3日後に管弦楽部に引き抜かれ、人数が不足していたバイオリンパートに加入。

高校でも管弦楽部に所属し、1年生の頃は朝練・昼練・放課後練と平日でも5~6時間はバイオリンの練習に没頭。「そのぐらい勉強にも打ち込めたらいいのにね」と親にも先生にも呆れられる。2年生に上がってからは受験に向けた勉強時間を確保するため、バイオリンに費やす時間を少しずつ削減。3年生の夏にマイナークラシック音楽に出会い、以後ナクソスレーベルを中心にマイナークラシック音楽の作品を聴きあさる。

大学ではオーケストラから離れるも、3年次在学中に音楽科の専門授業である弦楽器特講を受講(私は英語科だったので越境受講)。半年間、週1回の割合で弦楽器専門の教授による奏法レッスンを受ける。

社会人1年目の冬、初めての満額ボーナスでヤマハのサイレントバイオリンを購入。社会人4年目のときに、とある社会人オーケストラに1年間所属。それ以降は音楽から離れた生活が続き、現在特に目立った音楽活動はしていない。

が、しかし!今年の春にhideさんのBeauty & Stupidが突然舞い降りてきて(何がきっかけだったのか全く記憶にありませんが)、リズムやメロディーはもちろん日本語の詞でさえも韻を踏んでいるということに驚愕。それ以降ズブズブとhideさんの曲を聴く→hideさんがオススメしていたアルバムを片っ端から聴く(気づいたら3か月弱の間に新品・中古合わせてCD34枚も買っていました^^;)→ようやくさまざまなジャンルの音楽を聴けるまでに回復し、改めてマイナークラシック音楽に目を向ける…というような経緯で今に至ります。

そんなわけで特別何かに秀でているというわけではないのですが、自分の思いを伝えられるまたとないチャンス!ということで、コラム執筆にチャレンジすることにしました。どうぞよろしくお願いします。

記念すべき第1回目を飾るのはぜひとも日本人であって欲しい!という個人的な思い入れから、Vol.1では昭和初期の日本人作曲家であり指揮者でもある大澤壽人(おおさわひさと)氏の「神風協奏曲」(正式名称は、ピアノ協奏曲第3番変イ長調「神風協奏曲」)をご紹介します。

出典:Amazon. co. jp

 

神風協奏曲はジャズを好んだという大澤氏のカラーを垣間見ることのできる作品で、特に第2楽章はジャズの要素が色濃く感じられます。ピアノ協奏曲というだけのことはあってピアノの旋律はどこを切り取って聴いてもかっこいいのですが、中でも第3楽章のそれは衝撃的かつ印象的な旋律で、思わず聴き入ってしまうほどです。

ちなみに、神風協奏曲の「神風」は1937年に東京・ロンドン間の最速飛行記録を樹立した朝日新聞社所有の純国産航空機「神風号」に由来する名称であり、第二次世界大戦において編成された神風特攻隊とは関係ありません。

大澤氏は神戸に生まれ、高校時代までを神戸で過ごしました。もともと音楽の素養があり、それに加えて教会に出入りする在日外国人から音楽を学んだこともありました。高校卒業後に渡米し(4年間の米国滞在後には渡仏)音楽をさらに学んだ大澤氏の作品は、海外で高い評価を得ていました。
しかし、そんな名曲も演奏技術や聴衆の耳が十分に熟していなかった戦前の日本では、なかなか良い評価に結びつかなかったようです。そこで大澤氏は自分を抑え、社会的ニーズを満たす音楽を提供する職人に徹することで戦時期を生き抜き、戦後は多方面に渡って精力的に活動するようになりました。大澤氏の活動や作品はそこで初めて認められ、一躍時代の寵児となったのでした。

出典:生島美紀子『天才作曲家 大澤壽人』(みすず書房、2017年)

 

余談ですが、大澤氏の苗字のローマ字表記がOhzawaとなっているのは、Sを見てZの発音をする外国人が多かったからだとか。ある時期を境にパスポートの表記も自署もすべてOhzawaで通すようになったのだそうです。

東京ではなく出生地である神戸を活動拠点としたことや47歳という若さで亡くなったことも要因となり、大澤氏もその作品も最近まで忘れ去られていましたが、昭和初期を生きた日本人がこんなにも古さを感じさせないモダンな作品を生み出していたという事実は知っておいて損はないのではないかと個人的には思います。心からおすすめできる作品です。

最後まで読んでくださってありがとうございます!

次回は、受験勉強真っ只中の高校3年生だった私がマイナークラシック音楽にハマるきっかけとなった作品をご紹介します。お楽しみに☆

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